吉永幸一

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こういち(吉永幸一)
Koichi Yoshinaga

中学生活最後にザ・ブルーハーツに衝撃を受け、文化祭からバンド活動を始め、その後、弾き語りにブルースハーモニカのスタイルで作詞作曲を始める。

ブルースハーモニカに痺れ、この楽器がしたい!と思ったきっかけは、ザ・ブルーハーツのライブでギターのマーシーが歌う「チェインギャング」を生で見た時で、ボーカルの甲本ヒロトが吹いていた、ロックだけど「優しくて哀愁」のある響きに感銘を受けた瞬間であった。

高校時代は鹿児島でヤマハTMF、NHK BS ヤングバトル等オーディションで入賞と優勝。
19歳で単身上京、インディーズラジオ番組で弾き語った「焼酎の唄」が制作会社社長の耳に留まり2000年、1stアルバム「裸の男」でキングレコードよりデビュー。
2006年「いつか見た青空」でvapより「こういち」名義で再メジャーデビューし、個性あるハスキーボイスでシンガーソングライターとして熱いライブを展開中。
また舞台役者、映画、TVCMナレーターとしても活躍中。

《主な活動、出演作品》

■2000年、新宿駅アルタ前特設ステージ「さつま白波」協賛コラボライブイベント主催演奏
■HONDAバイクTVCM ミュージシャン役出演
■マクドナルド、ミスタードーナツ、スバル、トヨタ、キリン、佐川急便、タケダ薬品、サントリー、ブルボン、etc..TVCMナレーション
■2019年、22年、23年
3シリーズ連続興行収入50億円突破大人気漫画実写版
映画「キングダム」(山崎賢人 主演/佐藤信介 監督/原泰久 原作)本編オープニングナレーション出演
■2019年 小金沢昇司シングル「青春の忘れもの」(キングレコード)作曲提供(オリコン演歌歌謡部門最高4位)
■2005年 中日ドラゴンズ井上一樹選手打席入りソング「男流」を書き下ろしナゴヤドームで話題になる
この曲を気に入ったミスタードラゴンズ立浪和義選手にも「君は僕の夢」を書き下ろす
2008年中日ドラゴンズ日本一記念アルバムCD「中日ドラゴンズ選手別応援歌2008」(ビクター)に「男流~第四章~」収録
■横浜銀蝿ボーカル&ギター翔とのR&Rとフォークソングの融合ユニット 「翔&こういち」として「男道我龍が如く/夕暮れ青春道」CDリリースと野外ステージライブ活動中
■2013年 舞台「弱虫ペダル」眠れる直進鬼 箱根学園篇(音楽:manzo)に1曲ブルースハーモニカレコーディング参加
■新宿歌舞伎町にて生ピアノ、ドラム設置のライブバー「Bar aLive」も経営、若手アマチュアからプロミュージシャンにライブの門を開いている。2024年オープン18周年を迎える
持ち前のパフォーマンスを活かし「音楽」「声」「店」の「三刀流」で人生を謳歌している


こういち
配信/DLディスコグラフィ


Main Harmonica & Equipment

■ Harmonica
No.1710 MAJOR BOY
No.1210 Folk BLUES MarkII

■ Main Guitar
GIBSON/J-45

■ Live&REC Mic
SHURE/KSM9 CG
Ear Trumpet Labs /Myrtle

■ REC MicPre Amp
AURORA AUDIO/STINGER

■ REC Compressor
Retro Instruments/Sta-Level

■ REC Monitor Headphones
PHONON/SMB-02(EAR PAD 02 Luxury)


Discography



裸の男


2000年

グローブ


2002年

ROCKIN' FOLK MAN


2013年

いつか見た青空(Single)


2006年

シンクロニシティ ~この素晴らしき偶然の世界~(Single)


2014年

晴れ模様/焼酎の唄 (2018 Live Version) (Single)


2018年

男道我龍が如く/夕暮れ青春道
翔(横浜銀蝿)&こういち(Single)



2012年

憧れのプレイヤー

甲本ヒロト


My Favorite Albums

THE BLUE HEARTS
『YOUNG AND PRETTY』 




Q&A

Q. こういちさんはメジャーデビューから現在までシンガーソングライターや楽曲提供。また舞台役者やナレーターとしても活躍中ですね。長く活動できる秘訣とは何ですか?

A. Q2、Q3に話してる事とも被るとこもありますが 何よりどんな仕事も「好き」でないと長くは続けられないと僕は思っております。
また長い人生、自分が思ってるよりも「違う自分」の魅力みたいなものを気付かされる瞬間があります。
例えば僕の場合は「ナレーター」がそうでした。

でも基本、中学生の文化祭バンドの時「こうちゃんかっこいい!」て言われた勘違いから今に至ってるんですが(笑)
「ブルースハーモニカ」も吹きはじめた頃、「イケてる」て勘違いして今に至るです(笑)

後、夢を追いながら沢山の人に支えてもらい時には迷惑や心配もかけてきました。
ですので「支えてもらってる感謝の気持ち」をいつになっても忘れない事だと思います。

Q. 映画、TVCMナレーターのお仕事につながった経緯を教えていただけますか?

A. 今みたいに自主制作CDや配信提供やYouTubeなどなくミュージシャンとして「メジャーデビュー」する事だけ考えてましたが壁にぶち当たった25歳の時、 知人に「舞台役者でギター弾き語りの役があるけどしないか」?と誘われ役者は素人ですがギター弾き語り役ならと新境地で一心不乱で取り組みました
慣れない舞台で公演中ずっと声の調子は正直ベストではなかったのですが精一杯やり切った公演後、劇団事務所に、僕の声をナレーターとして事務所にスカウトしたいと電話がありました。
その小さな芝居小屋にCMナレーター事務所の関係者の方が公演を観に来ておられ、事務所マネージャーに「いい声がいる」と一報して頂いたのがきっかけです。
学生時代、国語の本読みすら恥ずかしくて苦手な僕でしたので(笑) それから一年間、社長からみっちりナレーターとしての基礎を叩き込んでもらい「ナレーター」としてデビューしました。
音楽という「夢」とは違う仕事ですがやってみるとどんどん好きになり同じ「声」という仕事で今でも楽しく仕事させてもらってます。

Q. 現在はライブバー「Bar aLive」も経営し、多くのミュージシャンに音楽の門を開いているとのことですが、それはどんな思いからなのでしょうか?

A. 僕が鹿児島から上京した31,2年前、小規模でもライブが出来るライブバーというスタイルの店が東京にはほぼ無く、バンドでもソロでもライブハウスに今では考えられないノルマ枚数の金額を納め身入りはほぼ無しか、むしろ手出ししてそれでも「レコード会社の誰かが見てる」とか「ファンを掴むんだ」と「メジャーデビュー」したくてライブをしてきましたが、ライブをすればする程、翌月のアルバイトのシフトを沢山入れないと生活出来ない悪循環の若かりし日々でした。
僕はたまたま運よくデビューの夢は掴みましたが、あの頃、今自分が経営しているBar aLiveのようなノルマがなく小規模でも一線で活躍してる沢山のミュージシャンが出入りするライブバーがあったらよかったのに、と毎日生の音楽に触れられる「ライブバー」をオープンしようと思いました。
お店もミュージシャンも「ウインウイン」になって「音楽でギャラ」をもらってるんだというモチベーションを、今の若い夢のあるミュージシャンにも感じて欲しいという一心でBar aLiveを経営しております。


Movie

佐川急便TVCM「共に未来へ」篇(ナレーション)


メッセージ

意外と難しいと言われるハーモニカとギターの同時プレイがはじまりでした。
このスタイルを最初から挑戦したことが、結果良かったと思ってます。
50歳過ぎて今、10ホール・ハーモニカ単体でジャムセッションをする事に、新たな楽しさを感じてる今日この頃です。

うまいな〜と思うハーモニカプレイヤーに出会うと色々な質問をしてしまいます(笑)
皆、微妙にフラットしたりシャープしたりする。

これは楽器、声
全てに言える事
全ては人間の感情の表現

ハーモニカは時に「優しく」時に「悲しく」時に「楽しく」時に「激しく」
己が「息」で表現する素晴らしい楽器であると思っております。

楽器を弾かないボーカリストも最高のソリスト相棒を手に入れる事ができるのです。





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