トンボ楽器製作所
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株式会社トンボ楽器製作所

トンボ楽器製作所
アコーディオン対談

★このページは『TOMBO祭2023』のコンテンツであり、2023年11月26日時点の情報となります。


トンボ楽器製作の第3代社長で現会長の真野泰治は、日本におけるアコーディオンの発展と共に育ち、若い頃は一線で活躍していました。
そんな真野会長に、自身も舞台でアコーディオンを演奏する現社長の真野照久が、アコーディオンの思い出からこの楽器の魅力についてインタビューを行いました。





アコーディオンを始めたきっかけ

社長:

では始めに、アコーディオンを始めたきっかけから伺いたいと思いますがよろしいでしょうか。

会長:

はい。よろしくお願いします。
ぼくがアコーディオンを弾き始めたのは太平洋戦争中で、小学校4年のころだね。
山形へ集団疎開して、40人の仲間たちと一緒に旅館で生活していたんだけど、父がそこにアコーディオンを送ってくれて、それを弾き始めたのが始まり。
最初は父が弾くのを真似して弾いていた。ピアノを多少弾いていたことが幸いして、右手は何となく弾くことができんだ。

社長:

左側のベースボタンについては知っていましたか?

会長:

いや、その時は何も知らなかったね。
戦争中、ちょうど仕事の少なくなっていたジャズピアニストの先生にピアノを習っていたので、ドミソ、ファラド、ソシレなど簡単なコードを教えてもらった。
先生は、まず「メロディを好きに弾きなさい」と右手で流行歌や軍歌を弾かせて、右手が弾けるようになってから、それに合わせてドミソなど主要三和音を付けるように教わったんだ。
バイエルなどは半年以上経ってからようやく始めたけど、それが良かったんだと思う。
左手についてはどうなっているか全然分からなかったけど、主要三和音を知っていたので、ボタンを押していって、音を確認していき、なんとなく覚えていった。
最初はただメロディに合わせて、簡単な伴奏を左手で付けるような感じだね。
集団疎開というのは24時間、皆と一緒に生活するんだけど、とにかくよく歌を歌ってたね。アコーディオンは手軽に伴奏ができるので重宝されたよ。



社長:

カラオケや歌声喫茶のノリですね。

会長:

だから、もう少し音を高くしてくれ、低くしてくれとか、リズムを速くしろとか、遅くしろとか、クラスメイトから注文が付く。
彼らにとってメインは歌で、歌手がスターなんだから伴奏者はスターを立てなきゃいけない、という考えだったのだろうね。
彼らはアコーディオンのことを全然知らないので色々と注文を付けてくる。ぼくは良くそれに対応していたんじゃないかな。
例えば、「前奏を入れろ」だとか、「歌を歌っているときにうるさくメロディを入れないでリズムだけ入れろ」とか、結構厳しいことを言われたよ。

社長:

でも小学生で、伴奏に注文が付けられる同級生の音楽性も大したものですね。

会長:

そう言われればそうだね。でもぼくも良くそれに付いていったと思うよ。
それが音楽の面白さかな。例えば、「前奏はあんまり気持ちよく弾くな、これから歌が出ていくんだから、お前、そんなに頑張るな」とかね。

社長:

小学生が「前奏はこう入れろ」と指摘するとは、中々のレベルだと思います。

会長:

そう思うと、ぼくの友達は仕切るのが好きな人が多かったね。
例えば宇宙戦艦ヤマトのプロデューサー、西崎義展とか、脚本家の倉本聰も一緒に集団疎開していた。当時、戦争ごっこをして遊んでいたけど、その時も色々と役を割り振ってストーリーを作っていたね。
それから小学校の担任の先生が、人形劇とか紙芝居を作ったり、歌を作ったりしてた。
そういう意味で、良い同級生や先生に恵まれたということもあると思う。

社長:

そういえば、私も小学校1年の時にアコーディオンを習い始めたとき、クラス全員が歌を歌う時に、当時の担任の先生から毎回、伴奏をさせられました……
他のクラスは大体ピアノを弾ける人がオルガンなどで伴奏をしていた中で、アコーディオンを使用していたのは全校で私一人でした。
2年間、毎日歌の伴奏をやっていたことが、アコーディオンの上達には、相当役に立っていたんだと思います。



会長:

ところで、あなたはどうやってアコーディオンを始めたんだっけ?



社長:

私の場合、物心がついた時には毎日家でアコーディオンを聴かされていたので、「まあ、そのうち俺も弾くもんだろう」くらいに思っていたような気がします。
幼稚園の時にはヤマハの音楽教室に通ったりして、何となく右手で鍵盤は弾けるようになっていて、小学校1年になった時、トンボアコーディオン教室の伴典哉先生の所に通い始めたのを覚えています。
そこでアコーディオンの持ち方や左手の説明を受けたときに、何となく自然に腑に落ちたという感じがしました。
右手で弾ける曲に関しては楽譜が無くてもすぐに、大体左手で伴奏が付けることができたと記憶しています。
そんな感じでしたので、なんとなく弾いていて、でも楽譜を実は全く読んでいなくて、先生の模範演奏を聴きながら覚えていました。
伴先生は、私が楽譜を読めないことに3年間、気が付かなかったようです。なんとなく、譜面を見ているふりをしていたので……。

そして小学校4年のときに、何となくアコーディオンは古臭い、というイメージがしてきて、そこから中学3年間はトランペットをやってました。
中学3年の時、cobaさんがイタリアから帰って来たとき、我が家にあいさつに来て演奏も聴かせてもらいました。
その時に聴いた演奏が、それまで私がイメージしていたアコーディオンとは違って聴こえ、新鮮に感じたので、cobaさんの開くアコーディオン教室に通うことになったんです。
この時cobaさんから言われた言葉を今でも覚えてます。

「照久君は、アコーディオンを格好いいと思う?」と聞かれて、
「ちょっと古臭いイメージでそんなに格好良くないですよね」と答えたら、
「じゃあ、ギターは格好いいと思うか?」
「ギターは格好いいですよね」と続けたら、
「良いか、ギターはもともとそんなに格好いい楽器でもないぞ。格好いい音楽をやってるから格好いいんだ。アコーディオンも格好いい音楽をやれば、格好良くなるんだ」

なるほどと思いましたね。
cobaさんはそれを有言実行されたと思いますし、すごい方ですよね。



会長:

そうだね。cobaは、当時から生き方や考え方がすごいと思っていたよ。
ぼくの話に戻るけど、終戦を迎えた後はダンスホールなどに外国人のコンボバンドが来たけど、そのメンバーはみんな、楽器が達者な連中で譜面無しで自分のパートをこなしていくんだけど、その中にアコーディオンが入っていることが結構多かった。
だから日本でもアコーディオンの入ったコンボバンドも出来たし、戦後だとアコーディオンの伴奏で歌を歌ったりしていることも良くあった。
アコーディオンというのは、そういうものだと思っていたところに、アメリカからレコードが入ってきた。
その時にアコーディオンの独奏で、『12番街のラグ』など色んな曲が入ってきた。クラシックも入ってきた。それを初めて聴いた時には、とてもアコーディオンの独奏だとは思えなかった。
そして楽譜が入ってきた。
トンボ楽器では当時、最先端の輸入アコーディオンと楽譜を仕入れていた。 楽譜にはスイッチの指示なんかも書いてあり、それ通りに、その輸入アコーディオンを弾いてみると、レコードと同じ音が出たので感激したね。
なんとか外国人が弾く演奏を真似したくて、ずいぶんと色々な曲を弾いた。そういう仲間が何人かいて、cobaの先生だった太田先生もそう。そういう仲間で名古屋で集まって、みんなで一緒に弾き合ったりした。
その時にグリーグだったり、ヨハン・シュトラウス、モーツァルト、シューベルト、ベートーベンなどの曲もアコーディオン用に編曲された楽譜が入ってきたので弾いたりしていた。

社長:

以前、そのころの演奏の音源を聴いたことがありますが、みんなアコーディオンが上手いし、魅力的な演奏をしていたと思います。

会長:

疎開していた頃、松原千加士の楽団が慰問に来てくれてことがあって、その時に演奏してくれた曲は『カッコーワルツ』とかだったけど、実にアコーディオンが華々しく入っていた。
やっぱりアコーディオンが流行ったのは、演奏が魅力的だったからだと思う。
テクニックというより、メロディを歌っていたね。古い人の演奏で今残っているものがあると思うけど、とにかく人を惹きつける演奏だったね。

楽器の発達

会長:

アコーディオンの流行の裏には、楽器の発達、という要素もあるかもしれない。
戦争中でもどんどん楽器が改良されていって、鳴りが良くなったり鍵盤が弾きやすくなったりした。
それからベースの音も低い音が出るようになって。
楽器全般的に言えることだけど、楽器の進歩が新しい音楽を生み出していく、と思っている。
楽器にはそれぞれ個性があっていいと思うね。
作る方は大変だけど、鍵盤の幅など、今僕が弾いているアコーディオンは少しコンパクトで楽に押さえられるものなんだ。
鍵盤の幅、深さ、ばねの強さなど、実に弾きやすさを考えて作られていると感じる。
鍵盤楽器全般の中でも、抜群に弾きやすいのでは、と思う。
ピアノももう少し浅い鍵盤にしたり、黒鍵の高さを変えてみたりしたらどうなるのかな……。
そういう変わったものが出てくるとテクニックも変化するし、面白いと思うんだけどね。
まあ、メーカーさんは色々と考えているとは思うけどね。



アコーディオンの魅力

社長:

さて、色々なエピソードをお話しいただきましたが、会長にとってアコーディオンの一番の魅力とは何だと思いますか?

会長:

魅力は色々あるけど、一つは、音の切れの良さ、タッチだと思う。
それが良く出ているのが、ボタン式クロマチックアコーディオンではないかな。
このタイプは全てのボタンが同じ条件で使える。
フレンチなどで、親指を使わないヨーロッパのプレイヤーたちがすごく切れのいい演奏をしている。
クロマチックは半音ずつボタンが並んでいる。
黒鍵とか白鍵とか関係なく全部均等に並んでいる。これが素晴らしいと思っていて、これによってどの調子でも歯切れのいい演奏を生んでいるのだと思う。

社長:

そういう歯切れの良さも含めて、タッチとべローイングによる表現力は、他の楽器にはできないアコーディオンの一番の魅力だと私も思います。
指で鍵盤を押したり離したりするスピードと、蛇腹への空気の送り方の合わさったタイミングにより、表現力が大きく変わってきますよね。
これはかなり高度なテクニックだと思いますが。
強い音を出そうと思った時に、ただ力任せに蛇腹を引っ張ればいいというものでもないですしね。

会長:

そうだね。やっぱりアコーディオンを演奏していて一番魅力を感じるのも蛇腹だし、一番難しいのも蛇腹だね。
いまだに蛇腹操作は日々試行錯誤だね。

社長:

そういう右手の魅力を踏まえ、バンドなどで右手だけ使用されることを考えると、思い切って左手側に音が入っていないアコーディオンがあっても良いのかなとも思いますね。
そうすれば価格も安く抑えられるし、購入もしやすくなると思いますし、何といっても楽器も軽くなりますから。

会長:

確かに、アンサンブル用のアコーディオンには左側は使わないからボタンがない。
だけど、左手は左手で面白さはあるからね。

社長:

左手が自在に使えるようになると、右手を補完することも出来たりしますからね。
左は左で魅力的に使える要素はたくさんあると思います。

会長:

もともとアコーディオンのリードの音というのは、それほどきれいな音ではないと思っているんだけど、それをきれいにするために、色々と楽器に工夫がされてきて、今の製品の右手の音なんかは、きれいな音がするようになっているんじゃないかな。
音色をきれいに、クラシックの楽器に負けないように改善されてきている。

社長:

今、アコーディオンのクラシック演奏者は堂々とオーケストラの中に入って演奏していますよね。

アンサンブルの楽しさ

会長:

アコーディオンは一人で弾いても楽しいけど、やっぱり誰かと合わせてみると、楽しさが全然違ってくる。
昔の曲はマニアンテの編曲など、すごくテクニカルなものがあったけど、これを一人でやらずに分けてアンサンブルでやったら楽だよな、と思っていた。
ミュゼットなんかもそう。一人で弾くのも良いけど、アコーディオン二人で演奏するととても華やかな感じになる。
他の楽器と一緒にやってみるのも良いよね。特に歳を取ってくると誰かと一緒にやるのがすごく楽しくなってくる。
あと、長いことアコーディオンをやってきたけど、ベースやコードに対しては少し不満がある。やっぱりベースはベース楽器にやってもらって、ボーンと低音を響かせてもらえると気持ちいいし、コードはギターでリズムをカッティングしてもらうのがいいと感じるね。



社長:

最近、私も他の楽器とのアンサンブルでピアソラなど演奏させてもらう機会がありますが、例えばピアノと一緒の場合、右手に専念できるので気持ちよくメロディを歌えます。

会長:

今、熱海でピアノの先生たちと定期的に弾き合い会をしているんだけど、一緒に合わせるのもとても面白いし、ピアノの人にとってもアコーディオンが入るのは面白いみたいだね。
アコーディオンの人たちだけで集まるのも良いけど、他の楽器の人も混ぜて、どんどんアコーディオンの魅力を広めてほしいね。

社長:

近頃のアコーディオン愛好者の中には、他の楽器とユニットを組んでいる方々も日本全国にたくさんいらっしゃると思います。
音楽のジャンルは様々ですが、それぞれ楽器の特性を生かした魅力的な演奏をされているので、ぜひたくさんの方に披露する機会を増やしていきたいですね。
今は、YouTubeのような動画投稿サイトもあり、色々な演奏が聴ける環境があるので、今のプレイヤーは恵まれていますね。



会長:

世界中の色々な演奏を聴いて、感じてもらって、またアコーディオン界が盛り上がれば面白いね。

社長:

そうですね。
本日は戦中戦後のアコーディオンについても貴重なお話を聞くことができ、また改めてアコーディオンの魅力についても再確認することができたと思います。
ありがとうございました。








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